こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。また、こうした人々は尊重せねばならない。
よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。
兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、
わたしの心とあなたがたの心とを、安らかにしてくれた。こうした人々は、重んじなければならない。
どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。
自分で自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ、確かな人なのである。
もしテモテが着いたら、あなたがたの所で不安なしに過ごせるようにしてあげてほしい。彼はわたしと同様に、主のご用にあたっているのだから。
だから、わたしがそちらへ行った時、彼のしわざを指摘しようと思う。彼は口ぎたなくわたしたちをののしり、そればかりか、兄弟たちを受けいれようともせず、受けいれようとする人たちを妨げて、教会から追い出している。
あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。
わたしと一緒に捕われの身となっているアリスタルコと、バルナバのいとこマルコとが、あなたがたによろしくと言っている。このマルコについては、もし彼があなたがたのもとに行くなら、迎えてやるようにとのさしずを、あなたがたはすでに受けているはずである。
どうか、わたしたちに心を開いてほしい。わたしたちは、だれにも不義をしたことがなく、だれをも破滅におとしいれたことがなく、だれからもだまし取ったことがない。
つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。
彼らはわたしたちを非常に尊敬し、出帆の時には、必要な品々を持ってきてくれた。
それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった。
そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、
よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」。
だれもあなたがたを迎えるものがいなかったら、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足からちりを払い落しなさい」。
よきおとずれを伝え、平和を告げ、 よきおとずれを伝え、救を告げ、 シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と 言う者の足は山の上にあって、 なんと麗しいことだろう。
そこで、大急ぎで彼を送り返す。これで、あなたがたは彼と再び会って喜び、わたしもまた、心配を和らげることができよう。